PayPayを知った男が得た物

翔平です

 

久々の休みでした

昨日早めに寝たので、今朝は7時に勝手に起床

なぜか休みの日は仕事に行くより早く目が覚める

 

目覚ましテレビ見てシャワー浴びたら睡魔が。。

 

姪っ子の来訪で目が覚めた

12時。。

 

今日はお目当ての物買いたかったのでお出かけ

その前にランチ

 

今年からPayPayというものを覚えました

 

きっかけはデビットカードを使った事

仕事上ATMでお金をおろす事が多く、どうにかならんかと

 

そしてデビットカード作成

色んな物にカードを登録

色んなアプリを登録

なんて便利な世の中だと感心

 

ポイントは馬鹿に出来ないとしみじみ

一本化しようと決心

よく聞くPayPayとはなんだ

 

PayPayの支払い多用(いまここ)

 

そんなこんなで本日は王将でランチ

50%付与

 

大きいやん

素敵やん

感動するやん

 

最初は1円、10円の付与とか馬鹿にしてました

塵も積もれば山となるとはまさにこの事

 

約1ヶ月で2000円も付与される予定

大変感動しております

 

全く現金を持たなくなったので今年から財布も新調

yuhakuというブランドのフラグメントケースを1月に購入しました

 

長財布からのフラグメントケースに迷いがありましたが2日で慣れました

 

それがこちら

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色合いが渋い

 

少しぶらぶらしてお目当ての物を見に横浜へ

ちょいとドキドキしながら高島屋(普段入らないから)

 

そしてJO MALONEに到着

 

あるプロ野球選手が愛用してるとYouTubeで見て気になった香水を見にきました

 

種類が分からなかったので店員さんにいくつかオススメを出してもらう

 

めっちゃ良い匂いの1本を見つける

下調べはしてたがやはり高い

 

値切る

口説く

購入

逃げる

 

 値切る

 口説く

▶︎購入

 逃げる

 

【PayPay】♪

 

翔平は81円のPayPayを付与された

高島屋への相性が2上がった

 

男の香水は賛否両論あります

ただ私匂いフェチでして

枕とかにかけて癒されるんです

 

たまに自身にもかけますが

大事な戦の時のみです(最近戦はありませぬ)

 

他にも買い物したい気持ちがありましたがPayPayのバーコードが緩くなりそうだったので帰宅

 

お気に入りの場所にJO MALONEさんを置いて休日を満喫しました

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明日からまた仕事頑張ります

頑張ってる人と話してみたい

翔平です

 

明日頑張れば2週間振りの休みです

1月は本当忙しかった。。

 

そしてこの2週間色々ありました

なかなか人生上手くいかないもんだなと思ったり

やっぱり考えるより行動に移さないとと改めて思ったり

 

疲れも溜まって、色々考えすぎてるので、明後日はゆっくり休みたいと思います

 

病んでるわけでは無いです

むしろ良い方向にいきたい為に色々考えてます

 

新しい事に挑戦してる人と話して刺激を受けてみたいですね

 

久々日付変わる前に寝れそうなので

今日はこの辺で終わろうと思います

 

おやすみなさい

見た目はチャラい。じゃあ中身は?

翔平です。

 

私のプロフィール画像見てみて下さい。

どう思いますか?

 

チャラい

 

ほぼこの感想が大半だと思います

否定はしません(言われ慣れてるし)

 

むしろこの写真より今は拍車がかかってるかもしれません

 

鼻の下のヒゲ(口ヒゲって言うのかな)

アゴヒゲ

 

ヒゲは印象良くありませんよね

 

現代社会では茶髪やヒゲはNGとされてます

 

なぜ?

 

昭和の時代から生きてる人はだらしないとか、社会に適してないという意見でしょうか

 

私も昭和の人間です

茶髪やヒゲは2000年代のギャルを連想させるのでしょうか(当時ヒゲはあんまりいないか)

 

タトゥー

 

俺にはこれはありません

ただ憧れた時期はあります

 

EXILEのATSUSHIが胸にインディアンのタトゥーと筆記体の英文が彫られてるのを見て

 

カッコいいー

 

と憧れを抱きました

でもこれはすぐに諦めました

大好きな銭湯に行けなくなるからです

 

とまぁ見た目の印象を日本人は特に意識しますよね

昔より緩和されたのか。。

はたまた厳しくなってるのか。。

その辺は分かりません

 

じゃあその人の中身はどうなのか?

 

それはその人と関わらないと分からない事だと思います

またはその人の行動でもイメージは変わるかもしれません

 

今の会社でヒゲを伸ばすようになりました

前の会社では1週間伸ばして剃る(当時はそこまで生えなかったから)

ただ憧れはあったので、育毛剤を顎に塗った事もあります(結果的に効果あった気がする)

 

入社時、今の会社はヒゲOKでした

当時の社長も部長もヒゲでした

 

茶髪の男性も女性もいました

 

育毛剤効果でヒゲの伸びるスピードが30代で早くなりました(個人差があります)

 

憧れもあり、ヒゲを伸ばした俺にある変化が起きます

 

翔平さん怖い

 

えっ?怖い?

初めて言われました

前の会社で怖いなんて言われる事ありませんでした

それが怖い?

その時はヒゲが原因だとは思いませんでした

あとは離婚のショックで人と距離を置いてたかもしれません(1番の原因これか)

 

先輩は入社した時爽やかな青年だったのにって今でも言います

確かに社員証の写真は別人でした(めっちゃ笑顔だし)

そんなに言うならヒゲ剃ろうかな。。なんて思ってたある日の事

 

翔平さん最初は怖かったけど、見た目と違って優しいですね

 

これを言ってくれたのは、当時担当していた物件のお施主さんでした

聞くところによると、第一印象は怖くて、担当監督として心配だったそうです

ただ話してる内に、見た目と中身が全然違くて安心したと言ってくれました

 

ここからは調子乗り発言出るので、見たくない人は下にスクロールして飛ばして下さい

 

正直仕事は真面目に取り組みました

これは皆さん当然の事だと思います

 

以前生い立ちブログに書きましたが、小さい頃から野球をやってました

高校で先輩の有難いご指導がありました

ここで礼儀を叩き込まれます

 

これが大きかった

 

見た目はこんなだけど、礼儀には気を使いました

お施主さんと喋る時は声のトーンが上がります

営業ボイスです

見た目と違うこの礼儀とボイスが好印象を与えたそうです

このお施主さんの言葉は、後に色んなお施主さんから言われるようになりました

 

スクロールした方はここから読んでね

 

これは自分の武器だなと思い、その後がっつり使わせてもらいました

でも今思えば合コン三昧のあの頃にも見た目と違うって良く言われてたなー(遠い目)

 

その後親会社が変わり、今の形態になりました

親会社が変わって最初の改革が身だしなみの改善でした

 

私服通勤禁止

茶髪禁止

ヒゲ禁止

アゴへの育毛剤禁止(遠い目)

 

私服通勤禁止

ラフな格好では無く、オフィスカジュアルとの事

いや俺ら監督どうせ作業着だからなーと思いつつ従います

 

茶髪禁止

白髪染めしてる私は少し茶色かったんですが、許容範囲でした(白髪の進行抑えられる方法急募)

 

ヒゲ

初日は従いました

別人に見えました

先輩が爽やかだなーって笑ってました(バカにしてるだろ)

 

しばらくヒゲ無し生活でした

個性死んだ

 

どうにかならないか。。

 

1ヶ月後にはヒゲに戻ってました

 

誰も突っ込んでこない

ある日新社長と飲みに行く機会がありました

 

翔平君は何でヒゲ生やしてるの?

 

早速きたよ

事情を話しました

 

いいねそれ!俺許すよ!

 

うそやん!!予想のはるか斜め上の回答が返ってきました

社長も親会社に俺と一緒に反発してくれるって事あんのかい

 

そこから今日までヒゲです

ちなみに俺の事情を知った同僚もヒゲに戻りました

 

そして社長と仲良くなりました

たまに休憩一緒にします

会社の文句も言います

香水がきついです

バツイチを心配されます

会社のお気に入り女性聞かれます

パワハラです

面白い社長です

 

おかげさまでこのヒゲと共にたくさんの物件を担当して、お施主さんと仲良くなりました

 

以前女友達がチャラいは褒め言葉だよと言ってました

外見に気を使ってるって事はいい事なんだから、褒め言葉と捉えていいと思うと

 

これまた予想のはるか斜め上の回答でした

 

去年の秋過ぎに髪を少し伸ばしてパーマをかけました

 

テーマ

汚いのに綺麗に見える斎藤工

 

これを目指してヒゲとパーマになりました

結果は幼くなったと言われました

 

なんで斎藤工とか竹野内豊とかヒゲなのに綺麗に見えるんだろ

 

今ここを目指してます

 

この人達も中身は分からないからね

でもきっと素敵な人達なんだろうと思います

現場監督の仕事と家が出来るまで

翔平です

 

今日は現場監督の仕事について書きます

よく監督って何やるの?って聞かれます

監督だから偉いんでしょとも言われます(いや偉くないよ)

簡単に言うと、職人さんや物の手配、現場・工程管理です

スポーツの世界でも監督っていますよね

どの選手を出すか、どんな作戦で試合を進めるかってやってますよね

要はそれと一緒です(全然ちげーよとか思われるかな)

監督の仕事と、家が出来るまでの一連の流れを簡単に説明します

あくまで私の場合なので悪しからず(注文住宅の場合)

 

営業、設計、コーディネーター、全ての打ち合わせを経てようやく着工です

ここまでの間にお施主さんの土地を現調し、職人さんの手配や、物の手配を準備します

着工前に地鎮祭を行う場合は地縄と言って、敷地内に建物の形を紐で表します

地鎮祭の際にお施主さんに建物の形をイメージしてもらう為ですね

配置確認も一緒にします

 

地鎮祭を終え着工です

基礎工事が始まりました

基本的にここから職人さんや物の手配は引渡しまでずっと続きます

 

基礎工事では配置が問題無いかチェックします

配置は敷地に対する建物位置です

配置がずれた状態で建物が出来ても、最悪の場合全て壊す可能性もあります

それほど配置は重要です

 

その後、鉄筋を組み基礎を作ります

鉄筋が組み上がったら配筋検査を受けますが、その前に鉄筋が図面の通り配筋されているか、事前にチェックします

配筋検査が無事終わったらコンクリートを打設します

その際もコンクリートの配合等チェックします

 

基本的に監督はチェックするのが仕事ですね

この監督のチェックが甘いと、後に大変な事になります

私も過去にミスはしてます

ただミスをした後の動きが大事です

ミスを隠さずしっかり報告する

そのミスをしっかり是正する

どんな仕事でもそうですが、隠蔽していい事はありません

ましてや家は一生に一度のモノです(お金持ちは一度じゃないのか)

この辺の責任感はしっかり持ってないとダメですね

 

コンクリート打設後にも諸々ありますが、少し省略します

 

基礎工事が終わり上棟です

上棟はメインイベントです

上棟式や棟上げという言葉を聞いた事がある人もいるかと思います

 

この日を無事迎える為に、監督は色々手配します

ここで漏れがあると一大事ですからね(前日には確認であちこちにバンバン電話確認します)

 

上棟の日はお施主さんも良く来られます

この時お施主さんの言葉で多いのが

1日でここまでいくんですねという言葉です

大きさにもよりますが、だいたい1日で上棟します

また良く聞かれるのは何を持って行けば良いですか?です

大工さんにこれからよろしくお願いしますと金銭を包む方、食べ物や飲み物を持って来る方様々です

特に決まりは無いと思います

その方の気持ちなので、何もないのかよ!なんて思った事ありません

むしろ何か用意があった時にわざわざすいません!ってなります

 

翌日から大工さんが一生懸命作ります

金物を付け、壁を張り、サッシを付け、フロアを張るという一連の流れがあります

ここでも監督はチェックです

最近ではiPadで図面を出し、チェックしていきます

iPadって便利ですよね

ちなみに俺は自分のiPadでチェックするようになって、それが同僚の監督に広まり、部長が興味を持ち、監督に支給されました

俺のファインプレーですね(ちなみに俺は支給されてません)

 

ここで配筋検査に続き中間検査があります

主に金物が適正な位置に付いてるか確認されます

 

その後、外では屋根屋さんが屋根を葺き、外壁さんが防水紙と呼ばれる紙を貼っていきます

ここで概ね雨仕舞いが出来ます

 

中では水道屋さんが配管をし、電気屋さんが配線をしていきます

床暖房がある際はここで施工しますね

 

他社は分かりませんが、ウチではここでお施主さんと配線立会いをします

打合せした通りに照明の配線や、スイッチ、コンセントがあるか一緒に確認します

 

この際お施主さんは、中に入ると意外と広いと実感する方がほとんどです

地鎮祭の時の地縄では狭く感じるそうです

いざ建物が出来ると皆さん広く感じるそうで、ここで嬉しそうな表情をするお施主さんがほとんどです

 

配線立会いを終えると断熱工事です

ウレタン、グラスウールという断熱方法がありますが、ウチはウレタン断熱です

モコモコしたやつを外壁面に吹いていきます

これを吹くと配線等の変更が大変になるので、先程説明した配線立会いを事前に行います

 

ここからはひたすら石膏ボードを貼っていきます

壁を貼り、天井の下地を組み、天井のボードを貼るという流れです

建物によっては壁より先に天井先行の場合もあります

またウレタン断熱完了後、約10日間後にユニットバスを設置します(日程はあくまで私のやり方ですので悪しからず)

 

外では防水紙後に外壁の仕上げをします

サイディング、左官仕上げ等がありますね

 

中ではボードが終わると階段を施工します

この辺の順番は大工さんによって違います

 

そして棚を付けたり、建具を吊ったりと大工さんはラストスパートです。

大工工事が終わる事を木完と言ってます

木工事完了の略ですね

 

ここでは図面通り大工さんが仕上げたか最終チェックをします 

ウチでは上司のチェックもここであります

私のチェックが問題無いかのチェックです

また外壁工事が終わったら、そこでも上司チェックです

問題無ければ足場が解体出来ます

 

そしてクロスを貼っていきます

あっその前にキッチン工事も終わらせます

状況によってはクロス工事後の可能性もありますが

クロスが貼り終わるとかなり雰囲気が変わるのと、ここからラストスパートって感じですね

そして器具付けです

トイレ、洗面化粧台、照明、スイッチ、コンセント等一気に付けていきます

一通り取付け終えたらクリーニングです

このクリーニングが終わると、中はほぼ完成してます

このタイミングで完了検査を受けます

ここでも検査員は配置の確認をしますが、先程の通り、ここで配置が違うと最悪ぶっ壊しです

俺は経験ありませんが、きっと泣きたくなるでしょう

何よりお施主さんに報告出来ない

 

検査が無事合格したらここからが大事

 

お施主さんにしっかり引渡し出来るか社内チェックがあります

ここでの監督は社内検査で指摘を受けないように事前にチェックし、準備をします

電気が付くか、水が出るか、建具の動作に異常は無いか等々たくさんチェックします

異常があれば職人さんを手配し是正してもらいます

ただ社内の検査は細かいです

やはり指摘はあります

また職人さんを手配し是正してもらって、ようやく引渡し前のお施主さんチェックです

 

お施主さんにはキズや汚れを見てもらいます

また機器の説明も監督が同時に行います

窓の開け方、機器の取扱説明、注意点等様々です

しかし建物が出来上がった喜びで話半分の人もいます(こればっかりはしょうがない)

中には細かく見る人もいます(指摘されてびっくりする位細かいキズを見つけます)

 

お施主さんからの指摘を直して、だいたい1週間後無事引渡しとなります

 

ここまでだいたい4ヶ月〜5ヶ月間、チェック、手配、管理をします

ここまでスムーズにいくように工程管理するのが重要です

雨が降ったりして作業が出来ないと、その分工程変更もしないといけません

予め予備日を見ておくのも監督の裁量です

 

また担当する案件は1棟ではありません

多い時は10棟以上担当してる事もありました

1棟ごとの工程を頭に入れておかないといけないし、チェックもしないといけない

土日が立会いで潰れる事も多々ありました(ちなみに今月の日曜日全部仕事だ)

また引渡してからアフターで対応する事もあります

 

それでもこの仕事にやり甲斐を感じてました

出来上がった建物を見て喜んでくれるお施主さん

ありがとうと感謝を述べられると嬉しいものです

 

後日アフター等で訪問すると、家具が置いてあり、また違った雰囲気で見れるのも良いものです

 

建売よりも注文住宅の方が管理をしていて楽しいです

お施主さんとのやり取りで、一緒に喜びを分かち合えるからです

綺麗事に聞こえるかもしれませんが、監督をやってて本当に感じます

時には難しいお施主さんもいます

それでも最後にはありがとうと言われれば嬉しいものです(最後まで難しい人もいるけどね)

 

時には大工さんや職人さんに怒られる事もあります

こちらが怒る時もあります

でもそんな人達と一緒に休憩して、他愛もない話をする時間も楽しいひと時です(だいたい会社の文句で盛り上がる)

 

この仕事をもしかしたら変えなきゃいけないかもしれない

違う会社で続けてるかもしれない

どうなるか分かりません

 

ただ今担当している案件はしっかり最後までやり切ろうと思うし、この仕事が好きだなと思います

 

このブログを読んで、家を建ててる方の参考に少しでもなれたら嬉しいです

相談ものりますので是非

 

写真は今日現場でチェックした写真です

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離婚。そしてPTSDに・・・

翔平です

先日のブログがたくさんの方に見てもらえてました

嬉しいですね

☆マークはいいねみたいな事なんですかね

見て頂いた方、読者になってくれた方ありがとうございます

さてバツトラのトラは説明したので、今回はバツを話します

 

元嫁と付き合ったのは2015年、結婚したのは2016年、離婚したのは2017年

籍を入れてから、離婚までは9ヶ月ー

スピード離婚ですね

 

松田聖子のビビビじゃ無いけど、この人と結婚するだろうと思いました

なぜ思ったのかは分かりません

フィーリングですかね

 

過去の恋愛では4年付き合った女性の時に少し束縛気味でした

19〜23歳だったので若さですね

最初はそんな事無かったのに、何故そうなったのか・・・

 

その女性とは1度別れてからまたヨリを戻して、そしてまた別れて

またヨリ戻そうと思った時には妊娠してました(衝撃だった)

 

その後何人かの女性と付き合いました

その頃全く束縛は無かったです

すると何故か冷たいと言われるようになりました

 

心配じゃないの?

好きじゃないの?

 

そんなつもり全く無いのに

何故かそれを言う女性は決まって歳上でした

 

家族の中では長男、初孫

学校ではまとめ役

そんな環境だったせいか、いつの間にか面倒見が良いと言われるようになりました

彼女には少し甘えたい気持ちもありながら、あまり出すことは無かったです

それが冷たいと言われる原因だったのかと今では思います

 

しばらく恋愛いいかなと思いました(でも合コンはしてた)

そんな中出会った女性が元嫁でした

 

親には友達の紹介で知り合ったとか言いながら、実はマッチングアプリでした

当時あまり流行ってなかったんですが、友達に教えてもらい始めたら

まさかのマッチング(そっからとんとん拍子で会う事に)

 

多分付き合った当初は冷たかったんじゃないかなと思います

でもいつも笑顔で隣にいてくれました(ちなみに1個下)

 

あっ結婚するな

1ヶ月経つ前に感じました

 

そしてプロポーズ

元嫁は28までに結婚、29までに子供が欲しいと言っていたので

その夢を叶えさせてあげる為に、付き合って1年経つ前にプロポーズしました

 

相手の親には結婚は了承されましたが、籍を入れる前にしっかりお互いの収入で生活出来るか確認して、大丈夫なら結婚を認めると言われました

結婚して小遣い制でも全く嫌ではなかったので、2人で計算し、お財布は元嫁に任せました

無事半年後に籍を入れ、プロポーズしてすぐ決めた結婚式が4ヶ月後に控えていました

 

当時仕事が忙しく、ほぼ毎日日付が変わる少し前に帰宅、結婚式の準備

寝る間も惜しんでやっていましたが、毎日楽しかったです

どんなに仕事が忙しくても、帰ってただいまが言える環境

結婚式のビジョンを描いてると仕事も苦にならなった

 

結婚式まで残り2ヶ月となったある日ー

 

俺は仕事中に倒れました

職人に顔色悪いよと言われ、そのまま倒れました

過呼吸になっていたそうです(当時の記憶はあまりない)

 

気付いた時には病院のベットでした

 

診断結果は過労

 

しばらく休むように言われました

後に分かった事は、1ヶ月前に受けた健康診断でも諸々異常がありました

 

元嫁が病院に来てました

上司と話はしてるから帰ろう

 

心配そうな顔では無く、いつもの笑顔でした

その日の週末には2人で出掛けて、少しリフレッシュしました

 

明日からまた仕事頑張らなきゃ

 

翌日、朝起きた時に仕事に足が向かわなかったです

あれ?なんかまた気分悪いな

もう1日休むと言い元嫁を見送った後、俺が向かった場所は心療内科でした

半日経って、自分がおかしい事には気付いていました

 

当時上司と上手くいっていなく、倒れた前日にも元嫁に愚痴ってました

上司に会いたくない

朝起きて思った感情です

病院の先生には、自分でここに来てそんだけ話が出来てるなら問題ない

ただ今度奥さんも連れてきて下さいと言われました

 

元嫁を連れて話した結果は、会社の人間を結婚式に呼ばない方がいい

当然両親には反対されました

ただ元嫁は俺の両親を説得してました

 

俺なんでこんな事になってるんだ

こんな人間じゃなかっただろ

結婚してるんだぞ

頑張らなきゃだめだろ

 

でも頑張らないとと思えば思うほどしんどくなりました

何がしんどいのか分からない

心と身体が一致しない感じでした

 

2ヶ月後、結婚式に会社の方はいませんでした

 

元嫁の親には別の理由をつけて、会社の人はいないと話してました

元嫁は俺が倒れた事を親に黙ってて欲しいと言われ

説明は元嫁がしたので、何と言ったのかは分かりませんでした

 

結婚式が終わって2日後

 

新婚旅行でハワイに行きました

そんな元嫁が結婚式から新婚旅行までいつも以上に笑顔でした

 

この人の笑顔失っちゃダメだ

 

日本に帰ったらすぐ転職活動するから

元嫁は泣いてました

俺は自分が情けなくなりました

 

倒れてから今日まで、傷病手当を貰いながら会社を休んでいました

働きたくないわけじゃない

むしろ早く元の生活に戻りたい

 

帰ってすぐ会社を辞め、転職活動をしました

2ヶ月後今の会社の内定を貰いました

 

これでまた元の生活にー

 

離婚届を渡されたのはそんな時でした

 

お義母さんが激怒していると

 

元嫁が俺が倒れて仕事をしていなかった事を伝えたそうです

ここまで辛かった・・・でももう限界かも

 

俺は自分の事で精一杯で、元嫁の辛さに気付いてなかったんです

何度も謝りました

 

1ヶ月後俺は離婚届に印を押していました

 

2週間後、元嫁に会いました

思っていた事を本音で話せなかった

 

それが最後の言葉でした

 

この人の笑顔何ヶ月も見てない

 

自分が情けなくなりました

何故倒れてしまったのか

何故元嫁の変化に気付けなかったのか

 

毎日泣いてました

ある日幻聴と幻覚に悩まされました

 

PTSD

 

そう診断されました

 

これがバツイチになった経緯です

正直他にも理由はあります

ただこれ以上書くと終わらないので

 

PTSDは3ヶ月ほど悩まされました

今は全くありません

 

正直この件で並大抵の事では凹まなくなりました

少し性格も変わりました

思った事は相手が目上であろうと、自分の意見を言うようになりました

相手が何を思っているのか、たくさん聞くようになりました

 

ただこれを良い事だとは100%思ってません

むしろ反省すべきところでもあります

 

今回の件以上に細かく全てを話した友達には、離婚して正解と言われました

お前が悪いと言う意見より、相手が悪いと

当然ですよね俺の友達だから

 

俺は自分がほぼ悪いと思ってます

というか思ってました

今は何とも思ってません

たくさん反省したのでこれ以上は無理です

 

今思う事は、相手がただただ幸せな人生を送ってほしいという事です

俺にはそれをしてあげる事が出来なかったから

 

自分勝手と思われるでしょう、反感も買うでしょう

そうなのかもしれません

でも俺もたくさん苦しんだのも事実です

 

元嫁がその後どうなったかは分かりません

離婚後、全てのSNSを削除しました

余計な情報が入ると思ったので

 

今ではバツイチをいじられます

そのおかげで今の自分があるので感謝してます

 

あの時こうしていれば良かったと思っても何も変わりません

タラレバってやつですね

 

バツイチになったのもリストラも自分の人生と思って割り切ってます

ただもう一度振り返って、新しい人生を始める為にブログを書き始めました

何かきっかけを掴みたいし、また結婚もしたいと思ってるからです

 

いつになるか分かりませんが、笑ってこのブログを見れる日が来てほしいです

 

次回は明るい話題のブログを書きたいと思います

世界遺産で産まれた男に戸建の相談

翔平です

 

本日は生い立ちをざっくり書きます

 

鹿児島県奄美大島で産まれました

とても良い所です

昨年、世界遺産にも選ばれ、世界遺産で生を授かった人になりました(なんか良いよね)

 

その後、幼少期から神奈川県で育ちます

活発な男の子のではありましたが、運動神経が良いわけではなく

顔面に大量に傷を負う子でした(俺のほっぺには妹の歯形もある)

小学生の時に少年野球に誘われ、その後今でも草野球をやる位

野球に全てを捧げる学生時代を過ごします

 

中学ではキャプテンも任せれましたが、この時自分には野球でプロになる可能性は無いと悟りました

高校では当時ギャル時代だったのでギャルにもなろうかと思ってた位です

しかし少年野球に誘ってきた友達が

『高校まで野球やれよ』

 

何故かこのたった一言が響いたのは今でも覚えています

しかしこの言葉のおかげで人生が大きく変わった事は間違いないです

 

高校は県内の工業高校に進みました

入学する前の年は、県内でベスト8になる公立高校では強豪校でした

そしてー

高校野球の洗礼を浴びます

ひと回り身体のでかい先輩からの有難いご指導(体育会系あるある)

中学時代の先輩も理不尽で色々あったけど、高校は別格でした

でもこれのお陰で、社会に出てから困る事は無かったです

上下関係を叩き込まれた事で社会に馴染めました

3年生になった夏の大会ではまさかの準優勝

ベンチにも入れなかったですが

この時の夏は人生で一番輝いてたかもしれません

 

その後、インテリアデザインの専門学校に進みます

理由は当時smartとうい雑誌のインテリアを見るのが好きだった事

憧れの先輩がその学校に進んだから真似したいという思いでした(安易)

 

専門学校の2年間はあまり思い出がありません

遊んでました

でも勉強は真面目にやったし、学校にもちゃんと行きました

 

なぜ遊んだか

 

当時付き合ってた彼女と遊ぶのが楽しかったらです

 

小学校から高校まで野球だけしかやっていなかったので

女性関係はほぼ皆無でした

 

それでも付き合った女性はいましたが、野球一筋でした

 

ちなみに初めての彼女は小学校6年生の時でした

交換日記をするという可愛いお付き合いです(当時流行ってた)

 

人生でモテ期が3回あるとよく聞いてました

 

初のモテ期は高校で野球部を引退してからでした

 

なぜモテたかー

 

髪が伸びたからです

俺は坊主が死ぬほど似合わなかったんです(そして頭でかい)

引退して髪を伸ばしてからめちゃくちゃモテました

これは友達からも公認されるほどです

 

この辺でモテた話辞めないと調子乗りそうです

 

そんなこんなで就職です

 

地元のゼネコンに就職しました

高校では建設科に入学した為、建設関係で家から近いとこで探しました

 

別に建設には興味も無かったんです

流川ばりの近いからって甘い考え

 

そこで10年働き、先日書いた会社に転職しました

 

とっても簡単に生い立ちを書きました

 

この間に様々な出来事があります

まぁバツイチになった事が一番大きいですね

 

この辺は別で書こうと思います

 

ちなみに仕事は前回も書きましたが、戸建住宅の建築現場監督です

これから家を建てたい・建てる予定のある人

 

監督目線の相談は出来ますので興味ある人は是非

 

この辺の需要があれば挑戦する事の1つにしてみたいと思います

 

ちなみにDIYもやります

その辺のお手伝いの相談も是非

 

写真は自分でやった部屋のDIYです

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DIY

 

35歳バツイチがリストラされた日

はじめまして

翔平です(バツトラです)

 

今日からブログを書いていこうと思います(今日で終わらなければいいが)

ゆるく自分のペースで

 

なぜ書こうと思ったか

理由はいくつかありますが、1つの理由としては

 

リストラされたから

 

令和4年1月14日の出来事

 

俺だけでは無く、会社の人全員

ある大手建設会社のグループ会社に勤めているんですが、俺の働いている会社の事業を縮小する事になり、約8割の人間が各グループ会社に異動になる事になりました

リストラとは言わないのかな

 

発表があった瞬間

 

あーこれが社会か・・・

ついに自分の身にも・・・

どうやって生きてくの・・・

 

って思うのかと思いきや、なぜか他人事に感じてました

実感が無かったんです

約200人の社員が個々に色々感じたと思います

 

そして翌日、部長と個別面談があり、次の会社の行き先を通達されました

 

そんな発表から面談までのわずか1日の間で、俺自身が思った事

 

 

なにか挑戦するか!!

 

 

自分でも不思議でした

 

挑戦?

35歳で?

何するの?

お金は?

失敗したら?

 

自問自答しました。でも何故か恐怖は無かったんです

むしろ最後のチャンスじゃないかって

 

同じ部署の人達はほぼ既婚者で子供もいる人達でした

そんな中俺はバツイチ子なし(これが大きい)

 

家に帰って色々ググった

 

バツイチ(これさんまさんが作った言葉なんだよね)

いやそうじゃなかった

 

人生やり直す

いやなんかネカティブ

 

新しい事への挑戦

これこれ

 

【まずは行動しないと何も始まらない】

 

文字で見ると当たり前のような事だけど、人ってなかなか行動に移す事出来ないですよね

特に新しい事には

俺もその1人でした

 

昔色々挑戦したいって思った事はありました

けど最終的には失敗したら怖いって思って何もしない

 

ある女性ブロガーさんが当時の彼に言われた言葉で

『失敗したからって死ぬの?』

この言葉に後押しされたというブログを見ました(この人のYouTubeも面白かった)

 

タイトルや途中の本文にもあったように俺はバツイチです

約5年前に離婚を経験しました(この辺の事はいつか書いてみたい)

 

あの日から今日まで

生き甲斐を見失い、漠然と仕事だけをしてきた毎日でした

そんな自分が今度はリストラ

 

そう!バツトラとは・・・

 

バツイチ+リストラの略称です(迫真)

 

バツトラの俺はここで終わる訳にはいかないと奮起しました

 

ただ奮起したはいいが何するの?

ここからまた自問自答

 

そして先程のブロガーさんに感化されて今ブログを書いています(なんとも単純)

 

でもこれも挑戦です

一歩踏み出した記念すべき日です

 

色々調べて頭でっかちになる前にまずはやってみようと

 

ブログの書き方なんて分かりません

続くかも分かりません

今やりたい事もなんなのか分かりません

明日どうなるかなんて分かりません

 

分からない事だらけです

 

でも挑戦してる事に意味があると思います

きっと俺と同じ事をやった事がある人はたくさんいるでしょう

この記事をたまたま見た人がこういう人よくいるよねーって思ってる人もいるでしょう

 

でも俺はそれでいいと思ってます

もしかしたら同じ境遇の方がいるかもしれない

その人と出会って何か新しい事が起きるかもしれない

 

そんなきっかけの1つになればいいと

 

 

自分の気持ちを伝えて奮い立たせる

 

 

実は今の会社では今年いっぱい働きます

まだ今年分の仕事はあるからです

それが終わると部長に通達されたグループ会社に行く事になります(一応面接はあるらしい)

 

しかし部長には、前日の夜に考えた今の気持ちを話しました

 

フリーランスバックパッカーも考えています』

 

なぜかそう伝えました

横文字で伝えたらなんかかっこいいかなって

当然驚いていましたが否定されなかったのが意外でした

 

ただバックパッカーは大袈裟だけど、オーストラリアに友達がいるので

海外に行って何か得てこようというのは考えました

 

そんなオーストラリアにいる友達には、部長面談の前に電話で今の状況を伝えました

そして会いに行くがてらいつかそっちに遊びに行きたいと

 

『おじいちゃんがそういうタイプの人間だとは思わなかった』(彼は私をおじいちゃんと呼びます。He is call my name ojiichan.)

 

そう言いながら何故が友達はとても嬉しそうな顔でした(テレビ電話しました)

でも年齢は関係ないし、凄い良いと思うと言ってくれて少しホッとしました

 

ホッとしたのは自分が考えてる事が、間違いじゃないと思いたかったからです

そんな彼もあるきっかけで海外に行き、今では永住権を取得して、イタリア人女性と結婚するという

からしたらとてつもない人生を歩んだ1人です(私は彼を化け物と呼んでいます。I call him a monster.)

 

面談後、また1人の友達に電話しました

高校からの友達で1番仲良しな友達です(彼は大阪に転勤してまんねん)

 

そして同じように伝えました

とても驚いたようで、鼻血が止まったと言っていました(それしゃっくりやんな?)

 

話を全て聞き終えた友達も俺の背中を押してくれました

しかも翔平の武器はこれだよ!と彼の目線で伝えてくれたのですが

人から見えている俺の武器を聞けたのは新鮮で有難いものでした

 

ちなみに彼の今の奥さんは、俺が背中を押して付き合い、そして結婚しました(わいがキューピットやで)

 

この2人に自分の気持ちを伝えたのは、もちろん仲が良いという事もありますが

伝える事で、後に引けないように自らを奮い立たせたかったという思いがありました(もう1人仲良しいるけどあいつ今何してる?)

 

 

これから先の事

 

発表から数日ー

今後どんな事が出来るか、挑戦するのか色々考えています

 

いつか自分の生い立ちでも書きたいと思っていますが

専門学校を卒業して、マンション等を建設する地元のゼネコンに就職し

そこで10年勤めました

その後転職し、木造住宅を建設する今の会社に勤めて5年経ちました

 

俺は15年間、現場監督として働いています

 

このスキルを活かして独立するか

はたまた建設とは全く別の挑戦をするか

 

おじいちゃんと呼ばれているルーツを紐解くか

人は驚くと鼻血が止まるという七不思議を解明するか

あいつ今何してるのか

 

今年1年の猶予があります

ただ1年なんてあっという間です

 

この1年を上手く使って、これから先の事を考えて行きたいと思います

 

そしてゆるく自分のペースでブログを書き

何かきっかけを掴めればと思います(願わくば応援コメントが1つでも)